2016年11月27日日曜日

旅と養生〜 LIfe is journey

SNS、インターネット、メディアと自分の関係を見つめる中で、少しずつ「今まで書いてきた文章」を整理していこうと思っています。

僕が運営メンバーになっている大阪吹田のコミュニティスペース「モモの家」の発行する「モモだより」に隔月で連載させてもらっている『Life is journey』という記事をブログにまとめていくことにしました。


まだ改行などやフォントなどのリメイクを施す前ですが、公開しながら直していこうと思います。

この写真は、連載のきっかけになったイベントのフライヤー。



旅と養生。

旅は道連れ、梅干しと味噌と共に。

僕も運営に関わっている大阪のコミュニティ「モモの家」の「モモだより」に連載している「Life is journey」というコーナー記事をブログにまとめました。今後も更新していきます。

先日、同じことを投稿したのですが、記事が閲覧できなくなっていたので直しました。
今後、改行や文字サイズなども再編集していくと思いますが、まずはシェアします。

life is journeyという言葉に初めて出会ったのは、たぶんネパールかタイ製のタペストリー。
たぶんカイラスだろうな、と思われる山に向かってパラパラと何人かの旅人が歩いて行く俯瞰図が綺麗で、そのヴィジュアルと共に頭に残っていた言葉です。

lifeという言葉は「人生」という意味もあるので「人生は旅」ともいえます。

lifeを「生活」や「暮らし」と捉えると、生活の中の選択や創造の一つ一つが冒険のように思えます。

そして「life=生命」と捉えると私たち生命コミュニティー全体が、旅を続けているんだなーと思えてきます。

人生の中で出会った衝撃やインパクト、感動や気付きに対してどう応答していくのか。人生の中での出会いが、暮らしの中での選択や創造を変えていく。

私たちはどこにいて、どこに向かっているのか。

その答えではなく、その問いを生きていく。

その時々に浮かんだ問いを、書き綴っています。

近々、原発や放射能について書き貯めてきた文章もこのブログにまとめます。

ではでは、今日もよき旅を◎


2016年11月22日火曜日

talking about our spring !

今からおよそ100年前にインドのヨギー、スワミ・スリ・ユクテスワによって書かれた「聖なる科学」の中で紹介されているインドの長期暦によると、私たちの意識は銀河の中心に近づき遠ざかるおよそ23000年の周期の中で、銀河の中心(ヴィシュヌナーヴィ)に近づいていく流れの中で目覚め続け、遠ざかる流れの中で眠りに入っていきます。





そして、この周期を何度も繰り返しながら人類の意識は少しずつ成長を続けていきます。
ちなみに今地球は、ヴィシュヌナーヴィから最も遠ざかった季節であるカリ・ユガを抜けドワパラ・ユガに入っています。

もう少し具体的に言うと、カリ・ユガとドワパラ・ユガの移行期をようやく抜けてドワパラ・ユガの本格期に入ったところです。

ヴィシュヌナーヴィに近づいていく流れの中で、意識は数千年かけて電気的なつながりについての知識を取り戻し、その後の数千年をかけて磁気的なつながりについての知識を取り戻し、ヴィシュヌナーヴィに最も近づいた数千年の中で、宇宙のあらゆるつながりについての知識を完全に取り戻すと言われています。

そしてそこから、まずは数千年かけて磁気的なつながりについての知識を失い、その後の数千年をかけて電気的なつながりについての知識を失い、ヴィシュヌナーヴィから最も遠ざかったカリ・ユガ期に、宇宙のあらゆるつながりについての知識を失っていきます。

カリ・ユガは、一日でいうと夜みたいなものかなと思います。
一年でいうと、冬かな。

ってことは今は早朝とか、立春の頃とか、かなと思ったり。

春の始まりは立春。
この頃は、高まる陽気に押し出されて、冬の冷気が最後に地上に表出してくる、最も冷え込む時期です。
最も冷える時期は言い換えれば冷えの気が極まって転じて衰え始める時期。

転換は表面ではなく内部から始まるので、今時期は雪が溶け出して土中に栄養を運んだり、地中の種が破れたり、地表から芽が出たり、体内の脂肪分が少しずつ溶け出したり、、、

春はゆっくり、目には見えない内側から静かにやってきます。

冬の間にじっと種の中に蓄えてきたエネルギーが、徐々に外に張り出してきます。

晴れる春。
張り出す春。

春の始まりは寒暖の差激しく、冬の気と春の気がせめぎあう時期。

大切な種を大事に温めながら、春の訪れを寿ぎたいと思います。

迎春天晴 感謝 拝

2016年11月18日金曜日

今日の妄想メモ

妄想メモ。

冨貴工房で憲法茶会とTPP茶会をやろうと思ってます。
味噌づくりの日に大豆を茹でながら、とかがいいかな。
TPP、憲法、一番やりたいのは読みあわせ会。
講師と参加者という関係を作るより、今やりたいのは「みんなが声を出す機会」づくり。
「あたらしい憲法のはなし」とか、憲法の条文や改憲案、TPPのフライヤーやブックレットなど、なるべくわかりやすく読みやすいものをゆっくり声に出して読んでみる。
音読すると、遠くにあるものと感じていたTPPや憲法が自分のものとして入ってくるようになる。
僕は噺家みたいな感じで大人数の前で声を出す事が多い。
そのたびに、他人の言葉が自分の中に刻まれていく。
そういう体験をみんなで分かち合えたらと。

暦WSも工房で1回もやってないのでやってもいいな。
身の回りに陰陽や五行で心身環境を語れる人が増えると色々楽で楽しくなりそう。いい食べ物、悪い食べ物なんてないし、そのようなイージーで表面的なジャッジをしていると、逆にそれぞれの食べ物の性質や効能を掘り下げていく意識が生まれにくい。「レッテル貼り」でわかった気になって終わり、みたいな感じは残念。
セシウムにも、白砂糖にも、ブッシュにもトランプにも裁きを与えるより、よく観察して理解を深めたほうが付き合いやすくなる気がする。ってことで暦。これはまだしっくりは来ていない。腑には落ちていない。から、すぐはやらない。
やらないけど「やるっていうのもありかな」とちょっと思い始めている。なんせ、旧暦や陰陽や五行を使いこなす為にはその言語で会話する機会が大事だから、そのような言語を学ぶ「英会話セッション」みたいな機会は、もっと増えるといいなと妄想中。

工房でのWSはなるべく全て値段設定なしの自由料金でいきたい。
参考になるのは「カルマキッチン」の取り組み。
(ご自身でググってみてください。)
金額を決める人とその金額設定の背景や根拠に共感している人が共鳴している関係は美しい。嬉しい。
でも、その金額の背後にあるものをいちいち説明しなければいけないのは疲れる。お茶やご飯も一緒。なぜ自販機で買うジュースは120円なのか。なぜオーガニック・スムージーは600円するのか。理解と納得と共感を持ってお金を払ってほしいし、お金を支払う事を「消費」ではなく「投資」として認識しあえたら、すべての「お金を使う行為」は社会作りのムーブメントになる。理想と現実の間に横たわるギャップを踏まえた上で、自分の中にある違和感や「こうしたいな」の気持ちには正直でありたい。

工房での、僕主催での染めワークショップは今後徐々に減らして、いずれは辞めていく。
ワークショップって「教える側」と「教わる側」の関係を固定してしまったら危険。
ワークショップって「工房」とか「共同作業所」って意味だから。
ひとりひとりが、主体性と積極性と「場全体に対するメンバーとしての責任感」が寄り集まってこそ、ワークショップは本当の意味での「共同作業所」になるのだと思う。
三宅商店の面々に染めのノウハウをシェアするのは面白い。
彼らは「教わらずに自分たちだけで染めをする」事を明確に意図して、ビジョンを持って気概満ち満ちで取り組んでいるから。
僕の最近の染めはこんな感じなんだよねー、最近こんな工夫をしてるんだよねー、という感じで「同志と切磋琢磨」という感覚がはっきり持てて有意義。
各地でコミュニティを作っていて「自分たちのコミュニティで物づくりをしていきたい」という気概を持った人達の集まりの中でやるのも面白い。
ワークショップが必要無くなる未来が見える中でやるワークショップは面白い。いつまでも染めの先生を演じなければいけない感じがしてしまうと、僕はその関係性に面白みを感じなくなるし、残念な気持ちになってくる。
非常に微妙な紙一重。

染めについて独自に探求することで得られるものが多いと思うし「教わらないとできないもの」という考えは危険だとも思っている。
と同時に僕は「草木染」という言葉を作った山崎家の三代の染色家達の作法から学ばせてもらっているし、染め司よしおかの吉岡幸雄さんに対する畏敬の念が、常に背筋を伸ばさせてくれていると感じているし、各地で染めで生計を立てている同世代から学びと刺激を受けている。
そして一方で、僕はみんなで染める楽しさもあると思うけど、基本は一人でじっくり染める時間に気づきと学びと感動の深まりがあると思っている。

繋がり合う事は大事だけど、もたれあったり依存しすぎたり、群れすぎていては、共同作業もクリエイティブにはなっていかない。

「染め教えます」という気持ちは僕の中にまったくない。
「今やっている染めを包み隠さずオープンにします。あとはご自身で探求、発展、させてほしい。」と思っているし、もっと言えば「その探求や発展の先に見えたものを、今度は僕に教えてほしい」とも思っている。

でも、工房でやっているとどうしても僕は工房主だし、WSに来る人よりは染めている時間が長い事が多いから「先生」と「生徒」の関係を固定化しやすいような気もしている。
せっかく真剣に伝えたのに、その場だけの実践で終わってしまって、伝えた内容も忘れられていく、っていうのは、理解できるし責める気はないけど、やっぱり悲しいし、それが続くとどうしても心が疲れてくる。

味噌や鉄火味噌を皆で作っている時は、僕は場作り担当、世話係、用務員、みたいな気持ちになれるし、皆が主役!って感じになるんだけどね。このあたりは、とても微妙。

染めの文化を一緒に育んでいきたいとは思う。
その入口、きっかけを作るつもりで工房での染めWSを始めたけど、やってみて、今はそんなことを感じている。
「教えます」ではなく「一緒に染めよう」と呼びかけたい気持ちになったら、そのつど企画するくらいにしていこうと思う。
たとえば、毎年5月の蓬染めはやりたい。
みんなで河原に行って蓬を摘むのは楽しいし、みんなで蓬を炊いてその蒸気を浴びるのも、足湯をするのも、楽しい。
季節の共同作業という感じがするし「蓬が今年も育ったね」とお祝いしあえる感じも嬉しい。
大阪の中の自然を分かり合える喜びがある。

このあたりはとても微妙。
今までやってきたワークショップは全部楽しかったし、その「楽しかった!」という大きな声と「でも、引っ掛かりもあるんだよね」という小さな声も聞いていきたいということ。
今までやってきた全部が意味があり、全部の体験がギフトになって、色々な気づきをくれた。
初めて染めに触れる人達が見せる笑顔やアーティストとしての輝きを本当に美しいと思ってきた。そして同時に、その美しさにもっと貢献したいと思うからこそ、小さな違和感を大事にしたいとも思う。

これは全部感覚でしかないけど、感覚が大事だと思う。
違和感に正直に。
思考停止や感覚麻痺や感覚無視でロボットのように物を生産するのではない、手足や五感を研いで物に向き合うのが手仕事だから。

ということで、、妄想メモでしたー◎

2016年11月11日金曜日

talking about TPP

「TPPのための企業連合」

ゼネコンのベクテル、石油メジャーのシェブロン、ボーイング、AT&T、コカコーラ、シティバンク、GAP、リーバイス、ジョンソン&ジョンソン、マイクロソフト、モンサント、ファイザー、などなど。

よかったら「TPP 企業連合」などでググって見てください。

これらの企業群が、アメリカ合衆国議会に圧力をかけています。
(正確にはアメリカ以外の政府及び議会にも)

「TPPはどこかの国家のためのものではない」
というのが僕の認識。

もっといえば、TPPはどこの国も豊かにはしない。
豊かになるのは多国籍企業および、それらの企業を支援している銀行、資本家、投資家のみだろう。

TPPを支える考え方は「新自由主義」

ネオリベラリズム。

自由といえば、聞こえはいい。

しかし、少し噛み砕くと「市場原理」と「個人の自由」に基いて好きに経済競争をさせればいいし、政府による介入は最小限に押さえるべきという考えが見えてくる。

資本主義社会における市場は、通貨発行権を牛耳る民間銀行からの借金を元手に頼らざるを得ない。

そこで生まれる「利子」という架空のお金を奪い合う「避けられぬ奪い合い」が市場原理。

政府が介入せず、個人の自由にやらせる。

太平洋の国々を縦横無尽に渡り歩き、土地土地に根を張って栄養を吸い上げていくような多国籍企業活動を、より一層好きにやってもらうための約束がTPP。

そして多国籍企業活動を優遇するために、
「日本国内での添加物規制を緩めないとうちの企業の商品が売りにくいじゃないか。これは自由貿易を侵害するものだ。」
とか
「日本国内の車線を右車線にしてくれ。そうしないとアメ車が売りにくいじゃないか。」
「国がサポートしている郵便局はガン保険をやらないでくれ。そうしないとアメリカの保険会社が参入しにくいじゃないか」
「地元の住民が仕事につきやすいような優遇措置は、アジア各国から労働者を連れてくる上で不平等だからやめてくれ」
などといった声が挙がっているらしい。

そして、前述の新自由主義の発想の前提にあるのが「優生思想」
人類の中には優れたものと劣ったものがある。

優れた遺伝子を優遇していけば人類はより進化できる、的な考え。

エリート優遇。

大企業の法人税は減免し、労働者への負担が大きい消費税は増やしていく。

山と積んだワイングラスの一番上にワインを注げば、いつか必ず下々のワイングラスにもワインが行き渡る。
だから上層部から潤わせる事が大切。

という考えを「トリクルダウンセオリー」なんて言ったりしながら、高層ビルの屋上でワイングラスを傾ける人達が潤うような思想体系と、それらの思想に基づいた経済構造を、TPPでリフレーミングしようと考えているのは、どこかの国家ではない。

僕はこの優生思想とも、新自由主義とも違う考え方を持っているのでTPPは飲めない話。

理由はシンプル。

遺伝子の優劣など、決められるものだとは思えないし、決めたいとも思わないし、決めてほしいとも思わない。

優劣という物差しで人を測るのではなく、仮に「沢山の資源をまとめて仕入れる力がある」とか「計算が早い」とか「いっぺんに沢山の物を正確に作れる」という事が「優れている」という評価に繋がるとしても「計算が遅い人」や「ゆっくり、少しずつでないとものを作れない人」も大切にされるような、お互いの個性の多様性を受け入れあい、尊重しあいながらの経済を営みたい。

個人の自由に任せた孤立と競争ではなく、お互いの感じている事や考えている事について耳を傾けあえるようなコミュニケーションのある経済を目指したい。

染めに使う純米酢は大量に仕入れられるから単価を下げる事が出来るグローバルマーケットではなく、少量しか仕入れられないから単価が上がってしまう近所の酒屋と雑貨屋で買う。

この数十円の差は、地域への投資だと思っている。
「来週5本ほど染めに使いたいんですよね」とか「この前もらった前掛けあるけど使う?」というような一つ一つの会話が、信頼関係や共生感覚といったプライスレスな価値を生むと思う。

すぐにうまくできなくても、諦めずにそんな社会を目指し続けたい。

言葉だけではなく、実践を持って。

そして実践だけでなく、言葉も使う。

わかり合うだけではなく、わたりあうことも大切だと思う。

お互いが本当に生き残るために、譲れないものは譲れない。

非暴力と、不服従。

・・・

改めて、その考え方は飲めない。

TPPは受け入れられない。

まずは急ぎ足の感ある批准への流れを食い止めて、話し合いの時間を作ろう。

そして、その間、たゆまず、暮らしと仕事を通じて、自分なりの考えを育てて、しっかり膝を突き合わせて話し合っていきながら、今は見えぬ未来の暮らしと仕事とつながりのあり方を、試行錯誤しながら、右往左往しながら、みなで作っていきたいと思う。

#stoptpp

2016年11月3日木曜日

資本主義のピラミッドってポピュラー?





先日「おかねについて語らう会」(会場:モモの家)で配ったポスター。
これは1911年に世界産業労働組合が作った「資本主義のピラミッド」をあしらったもの。
各層は上から
「資本主義」
「我々はあなたを支配する」
「我々はあなたを馬鹿にする」
「我々はあなたを撃つ」
「我々はあなたのために食べる」
「我々は全員のために働く、我々は全員を養う」
となっている。
このようなポスターを作る人、認識している人、このような社会構造を理解している人がいる。
日本で配ったら「陰謀論者」とか言われそうだ。
日本はあくまでも敗戦国であって、最上層の「資本主義」を支える代理店のようなポジションについている事が「この構造を教えてもらえない」という現実を支えている土台になっている。
そして、太平洋戦争より前、明治維新のタイミングで「資本主義」の思想を取り込んだ時点から「彼らのために働き、彼らを養う」ことを始めたこともこの構造に気づきにくいという現状に大きく影響しているのだろう。
だからTPPのような、まさにこの構造をより強固にするような条約に対しても鈍感になってしまうのかもしれない。
この仕組みを支える一人であるディヴィッド・ロックフェラーお爺さんは『ロックフェラー回顧録』(新潮社)の中でこう語る。
・・・
「なかには、わたしたちがアメリカの国益に反する秘密結社に属していると信じる者さえいる。そういう手合いの説明によると、一族とわたしは“国際主義者”であり、世界中の仲間たちとともに、より統合的でグローバルな政治経済構造を-言うなれば、ひとつの世界を-構築しようとたくらんでいるという。もし、それが罪であるならば、わたしは有罪であり、それを誇りに思う。」
・・・
彼を始めとする資本家ネットワークが各国政府および関連機関、メディア、教育、医療、軍事、インターネット、その他、世界を支える主要な機関の全てを手中に収めている今、このような言葉を包み隠す必要はなくなっている。
バレたところで、誰がこの構造を覆せるというのか。
反対するのは簡単だ。
でも、結局みんな、私たちのお世話になっていて、自分たちなりのシステムを作って自分たちで管理するなんてことをしようとする人間はいないじゃないか。
せいぜい「もっといい餌をくれよ!」「安全をくれよ!」と叫ぶだけじゃないか。というような事を、言っている。
そのとおりかもしれない。
資本主義社会にとってかわる人間関係を作る模索、実験、実践をすること。
誰かのやっていること、言っていることに反応したり評価を下すだけでなく、意思表示するだけではなく、「実際につくる」ということを、もっともっと大事にしたいと思う。
戦争を望まないなら、9条に頼るだけでなく、平和外交のような隣人との対話の実践、戦争のようではない議論の場作り、贈与の意識と愛による経済、助け合いの地域づくりの実践、共同作業によるものづくり、実践していきたい。
「いやいや今まで完全任せっきりでしたねー。」
とか言いながら、手前味噌で作った味噌汁を前述の翁と一緒にすすりたい。
昨日のテーマは「しほんしゅぎってなんだったっけか?」
脳内に漢字を入れることすら難しい人もいる。
そんな人を置いてけぼりにしないコミュニティ。
情報を持っている人が、持っていない人を見下さないコミュニティ。
無関心層といった「括り」「レッテル」で人を裁かず、排除もせず、攻撃せず、誰でも安心して輪に加われるような語らいの場として「おかねについて語らう会」を続けていこうと思います。
昨日は参加者から
「フェアトレードについての話ならできるよ」
「安保闘争後に生まれたコミューン、部族の経済について語れるよ」
「ギフトエコロジーを紹介できるよ」
といった声が上がってきました。
おそらく次回以降、こういった「新しい実践」につながる話を持ち寄り合うことになっていくと思います。
ちなみに、この「おかねについて語らう会」の主催団体「モモのがまぐち」は、自分たちで作った本「つながりのなかで はたらき まなび あそぶ」の売上を6年間貯め続けて作ったコミュニティバンク。
小さな仕事、小さな活動を支えるための無利子少額融資&カウンセリング&事業サポートをしてきました。
これからは、ブログなどを通じて、知っていること、考えていることを、より一層噛み砕いて、伝えていこうと思います。

TPPのための企業連合、そして私たちの立ち位置は


「TPPのための企業連合」
ゼネコンのベクテル、石油メジャーのシェブロン、ボーイング、AT&T、コカコーラ、シティバンク、GAP、リーバイス、ジョンソン&ジョンソン、マイクロソフト、モンサント、ファイザー、などなど。
よかったら「TPP 企業連合」などでググって見てください。
これらの企業群が、アメリカ合衆国議会に圧力をかけています。
(正確にはアメリカ以外の政府及び議会にも)
「TPPはどこかの国家のためのものではない」
というのが僕の認識。
もっといえば、TPPはどこの国も豊かにはしない。
豊かになるのは多国籍企業および、それらの企業を支援している銀行、資本家、投資家のみだろう。
TPPを支える考え方は「新自由主義」
ネオリベラリズム。
自由といえば、聞こえはいい言葉だ。
しかし、少し噛み砕くと「市場原理」と「個人の自由」に基いて好きに経済競争をさせればいいし、政府による介入は最小限に押さえるべきという考えが見えてくる。
資本主義社会における市場は、通貨発行権を牛耳る民間銀行からの借金を元手に頼らざるを得ない。
そこで生まれる「利子」という架空のお金を奪い合う「避けられぬ奪い合い」が市場原理。
政府が介入せず、個人の自由にやらせる。
太平洋の国々を縦横無尽に渡り歩き、土地土地に根を張って栄養を吸い上げていくような多国籍企業活動を、より一層好きにやってもらうための約束がTPP。
そして多国籍企業活動を優遇するために、
「日本国内での添加物規制を緩めないとうちの企業の商品が売りにくいじゃないか。これは自由貿易を侵害するものだ。」
とか
「日本国内の車線を右車線にしてくれ。そうしないとアメ車が売りにくいじゃないか。」
「国がサポートしている郵便局はガン保険をやらないでくれ。そうしないとアメリカの保険会社が参入しにくいじゃないか」
「地元の住民が仕事につきやすいような優遇措置は、アジア各国から労働者を連れてくる上で不平等だからやめてくれ」
などといった声が挙がっているらしい。
そして、前述の新自由主義の発想の前提にあるのが「優生思想」
人類の中には優れたものと劣ったものがある。
優れた遺伝子を優遇していけば人類はより進化できる、的な考え。
エリート優遇。
大企業の法人税は減免し、労働者への負担が大きい消費税は増やしていく。
山と積んだワイングラスの一番上にワインを注げば、いつか必ず下々のワリングラスにもワインが行き渡る。
だから上層部から潤わせる事が大切。
という考えを「トリクルダウンセオリー」なんて言ったりしながら、高層ビルの屋上でワイングラスを傾ける人達が潤うような思想体系と、それらの思想に基づいた経済構造を、TPPでリフレーミングしようと考えているのは、どこかの国家ではない。
僕はこの優生思想とも、新自由主義とも違う考え方を持っているのでTPPは飲めない話。
理由はシンプル。
遺伝子の優劣など、決められるものだとは思えないし、決めたいとも思わないし、決めてほしいとも思わない。
優劣という物差しで人を測るのではなく、仮に「沢山の資源をまとめて仕入れる力がある」とか「計算が早い」とか「いっぺんに沢山の物を正確に作れる」という事が「優れている」という評価に繋がるとしても「計算が遅い人」や「ゆっくり、少しずつでないとものを作れない人」も大切にされるような、お互いの個性の多様性を受け入れあい、尊重しあいながらの経済を営みたい。
個人の自由に任せた孤立と競争ではなく、お互いの感じている事や考えている事について耳を傾けあえるようなコミュニケーションのある経済を目指したい。
染めに使う純米酢は大量に仕入れられるから単価を下げる事が出来るグローバルマーケットではなく、少量しか仕入れられないから単価が上がってしまう近所の酒屋と雑貨屋で買う。
この数十円の差は、地域への投資だと思っている。
「来週5本ほど染めに使いたいんですよね」とか「この前もらった前掛けあるけど使う?」というような一つ一つの会話が、信頼関係や共生感覚といったプライスレスな価値を生むと思う。
すぐにうまくできなくても、諦めずにそんな社会を目指し続けたい。
言葉だけではなく、実践を持って。
そして実践だけでなく、言葉も使う。
わかり合うだけではなく、わたりあうことも大切だと思う。
お互いが本当に生き残るために、譲れないものは譲れない。
非暴力と、不服従。
・・・
改めて、その考え方は飲めない。
TPPは受け入れられない。
まずは急ぎ足の感ある批准への流れを食い止めて、話し合いの時間を作ろう。
そして、その間、たゆまず、暮らしと仕事を通じて、自分なりの考えを育てて、しっかり膝を突き合わせて話し合っていきながら、今は見えぬ未来の暮らしと仕事とつながりのあり方を、試行錯誤しながら、右往左往しながら、みなで作っていきたいと思う。