2016年12月31日土曜日

染めについて思うこと




竹の棒に麻布を巻き付けて

捻ったり絞ったりを色々やっ
その上で茜染めしたらこんな風になりましたの図。



この写真は2015年春、沖縄の本部で行った三宅商店シャイン研修の時に撮ったもの。


この日は他にも、板締めや吊るし染めなど、いわゆる模様付けの技をシェアしました。



・・・



2013年冬、「染め司よしおか」の吉岡幸雄さんに出会いました。



吉岡さんの染めに向かう姿勢、作品の圧倒的なまでの素晴らしさに触れ、

挫折感とも言える大きな刺激を受け、一時は染めができなくなりました。

自分の染めに対する姿勢
染料や布やそれらを生み出す水や土や作業する人々との向き合い方
どなどを問い直す日々が続き

ようやく「染めたい」という気持ちが復活してきてからは
絞りや模様付けをしたいという気持ちがなくなり
とにかく無地で納得のいく色を出すという事に意識を集中してきました。

依頼を受ければ模様も付けるけど
自分でデザインするな
迷わず無地。

















とにかく
「どうしたら美しい色を出せるのか」
の問いと試行錯誤を続けたい
という感じでした。


その気持ちは今もまったく変わらないし
その道は果てしなく続くでしょう。


染めを続けるかぎり、吉岡さんとの出会いから始まった探求は続くと思います
仲間たちに模様付けの技をシェアした時
自分の気持ちが「染めができなくなった時」から変化している事に気が付きました。

ざっくり言えば、絞りも板締めも吊るし染めも、楽しい。
無地もいいけど、絞りもいい。

どっちの自分もいる。

その幅を発見できたことで、求道者のようだけでなく
純粋に楽しみとして染めと向き合っていけるという実感が増した体験でした。

。。。

そのうえで、
果てしなく続くであろう、色への探求。

この道は死ぬまで続くんだろうなーとゆるやかに予感しています。

僕は染めに対して、それくらい運命的なものを感じています。

。。。


平安の時代の着物の色は、化学染料では再現できない。

時代劇や映画を見ても、その時代の色および波動を感じ取れていないと思ったりする。

たとえば聖徳太子が制定したといわれる正位十二階

その十二色の天然の色素で染められた帽子のもつエネルギー。

それぞれの色の持つ力を、本当には実感できていないんだろうなと思ったりする。

そしてこれは根拠のない話だけれど
たしかに僕たちの記憶の中に、それぞれの色は眠っているということを感じたりもする。

茜、藍、泥、蓬、弁柄、杉皮
様々な野草や土で染めてみて、毎回その染料の香りと色に懐かしさを感じる。


・・・


吉岡さんは延喜式に載っているような染色の技術を再現しようとしている。
その頃の人たちに挑戦しようとしている。


「延喜式に載っている分量と工程通りに染めても、どうしても同じ色が出ない。」
「書いてある通りの量の紅花を使っても、同じ色の濃さにならない。」
「空気や水が汚染され、植物の力が弱まっている。」
「土や水との繋がり方から、見直さないといけない。」
と語る吉岡さん。

僕はその話を聞いて納得した。
なんで自分が染めに惹かれたのかの理由の一端が見えた気がした。

自分の手でものを作るということは、自然環境に責任を持つことと繋がっていた。

色と向き合うということは
自分たちの生活が水や空気を汚しているという現実と向き合うことでもある。
いい色を作る自然環境に、責任を持つということでもある。

草木染めをしながら食器や体を洗う洗剤が合成化学薬品では、本末転倒。
もちろん原発や戦争は
水や空気、そして茜や藍を弱らせる。

放射能汚染を止めるための道と
いい色を出すことを探求する道は
つながっている。

石油によって顔料や染料が作られるようになり
紡績も染織も機械が行うようになり
利便性が増したと同時に
人の手が持つ技、人の感覚や勘が鈍っている。

キッチンタイマーを使いながら染めていても
「本当は20分染めたら、すすいで、20分媒染」
なんて話じゃないんだろうと思いながら染めている。

タイマーがなくても
布や水や色の様子、怪しいことを言えば、それらのスピリットと対話ができていれば
タイミングは自分でわかるはず。

薬効なんて
人に聞かなくたって、感じればわかるはず。


ずいぶん退化した。


機械の進化と反比例するように、僕たちは鈍感になった、と思う。

愚痴を言っているのではなくて、素直な実感としてそう思う

そして染めはある意味、僕にとってはリハビリでもある。

忘れてしまった色を思い出す事で
思い出そうとする事で
自分の手や足や五感や直感を使って試行錯誤を続ける事で
身体感覚、草木や水や空気や土とのつながりといった
大事なものをたくさん思い出していくんじゃないかと思っている。

色と向き合うということは
土や水、風や石や草と向き合い直すということでもある。
だからこそ、じっくりいきたい。
五感が鈍らないように。
ひとつひとつをじっくり味わえるように。

自分の時間感覚に草木を呼び込むのではなく、
草木の時間、土の時間に入っていくように染めていたい。

なるべく機械を使わずに
この体を通じて
なるべく手間暇をかけて
じっくりと
時間をかけて
いつまでも、美しい色達と付き合っていきたい。