2017年10月6日金曜日

肚でかもす

腹立つ事も、悲しい事も、言葉に出来ない感情も、全部肚で醸してやる。

そういう気持ちがようやく戻ってきた。

国家の力をアピールするために東大寺に建てた大仏に塗る金箔の原料が足りないからと言って、征夷大将軍が今の福島に攻め込んできたのは今から千年以上前のこと。

彼ら国軍から蝦夷と呼ばれた原住民達のチーフであるアテルイとモレは、和平調停をするという約束を信じて京都に出向き、その場で打ち首にされた。

町のど真ん中の橋の下で、ノコギリで首を切られた。

それ以来、福島以北の土から鉱物が掘り起こされ、首都であった奈良京都に運ばれ続けた。

そして現代、福島の地に作られた原子炉から、首都東京にエネルギーが送られ続けた。

千年は、遠い昔ではない。

変化を起こす意志と行動がなければ、同じことが繰り返される。

医学界は命のためにあるもの。

しかし厚労省がそうだとは、僕は思っていない。

第二次大戦中に中国人を捕まえては「丸太」と呼び、八つ裂きにし、薬物を投与し、他国軍がたじろぐぐらいの人体実験を行い、様々な薬物についてのデータを取り続けていた「731部隊」の高官達が「アメリカの言うことを聞く」という約束を交わして無罪になり、彼らが作ったのが厚労省とミドリ十字。
世界的に見れば、製薬会社は生物兵器や枯葉剤、マスタードガス、放射線兵器を作る技術を、そのまま医療・製薬のビジネスに転用している。それらを推進するWHOは、人口を減らす事にやっきになっている。

しかし、医師は心と魂を持つ個人だ。

その昔、国の言うことを聞かずに、独自に薬草学や気学を使って民の病を治していた人たちは「国家にとって脅威」とされ、「鬼」などと呼ばれて迫害を受けた。鬼の一部は、メディスンマンであり、シャーマンであり、ブラックジャックであり、魔女だ。
今、放射能から命を守ろうという人たちは、いわば鬼扱いを受けていまいか。

いわきにある鬼ヶ城にはこんな看板がある。
「当時、ここには鬼と呼ばれる国家の言うことを聞かない人たちがいました。彼らは地元の人たちからも嫌われていました。しかし朝廷軍が彼らを退治しました。」
この看板を見て、放射能から子どもを守る活動をしている女性が「鬼って、まるで私たちのようですね」と言った。

そういう歴史を、そのままにしてきたのは、国家ではなく個人だろう。

鬼が迫害されるさまを、黙ってみてきた従順な人たちが、この歴史を作ってきた。

海賊、山賊、鬼。

海旅Campの代表は、海賊の集まる下関の、暴走族の元リーダーだ。
国家教育に違和感を覚えて高校を中退したようなやつが、保養の現場を続けている。

そういう時代だ。

あきらかに国家から「海賊扱い」されているような、上関原発建設計画を止めようとがんばる、祝島のおばあが「殺されるかもしれないね。でも、死んだら化けて出るから大丈夫。」と笑い飛ばす声が、海に響く。

Spirit never die .

歴史を、his storyにしてはいけない。

私たちの物語は、私たちが作っていくものだろう。

嘆きも悲しみも怒りも、ぜんぶごった煮の味噌煮込みうどんにして食って血肉にしてやろう。

魂が国家に屈することはない。

いくさも弾圧もすべて醸して味噌にしてやる。

みそ作りで忙しいのでいくさに加担する暇はない。

踊りで忙しいので、踊らされる暇はない。

いくさに出す味噌はない。

いくさに出す塩もない。

一瞬たりともいくさに加担するつもりはない。

今までも、これからも。

たとえ殺されようと、魂は死なない。

先人たちの歩んできた、いくさからおりていく道をたやさぬ事以外に、することはなし。

未来永劫平和を希求。その道は自分たちで作るので大丈夫の大成功が約束されている祝福の道だ。

2017年10月4日水曜日

風と波〜保養と医療と圧力と

「風フェス」終わって、またひと波。

甲状腺検査を受けた方から主催者に連絡がはいる。
結果を受けて、検査をしたドクターが福島県内のとある病院宛に書いた紹介状が、拒絶されたとのこと。

1つ目の理由は、検査をしたドクターが総合病院勤務でないから。
このドクターは国家資格を持ったれっきとした医師なのですが。

2つめの理由は、「保養先での検査レベルでは検査と認めない」とのこと。どこの病院に行っても検査をしてくれない。だから保養プロジェクトの中で、専門医を呼んで検査をしている。しかし、その検査は検査と認められず、医師は医師と認められない。

これらを理由に「あなたのことを診察しません」と言われた人の気持ちがわかるだろうか。

こういったケースが6年間の間に山のように蓄積しているのだろう。

声なき声が、出せない悲しみが、どれだけあるのだろう。

人を救う為の医学界が、どれだけの人間に悲しい気持ちを味あわせてきたのだろうか。

業界に圧力をかけ続けている政府や原子力村の人たちは、自分たちの選択によってどれだけの人たちを命の窮地に追い込んでいるのか、分かっているのだろうか。

ある医師は、保養企画の中で甲状腺検査をしていることが理由で、「放射線学会」からの除名を勧告されている。

僕はこの検査に立ち会って、紹介状の手配や病院のリサーチをした立場として、この出来事に当事者として関わっている。

甲状腺検査の現場で、こういうことが起きている。

初めて身にしみた。

検査のスタッフをしてみて初めて分かること。

検査のベッドに横になる時に湧いて来る、なんとも言えない不安と孤立感。

それらの不安を少しでも軽減しようと努力しているスタッフ達の気遣いと思いやり。

今回検査を担当したドクターは、四国から手弁当でやってきてくれた。

ひとりひとりの思いと、具体的な行動が、簡単にはねのけられ、踏みにじられていく。

言葉にできない感情とは、こういうことを言うのだな。

・・・実名は出さない。

病院名も、医師の名前も、何も出せない。

追求も詮索も、しないでほしい。

たぶん出しても何の得にもならない。

ゴシップか、ワイドショーのように、外野から騒がれて終わるだけだ。

騒がれるだけで、手は差し伸べてもらえない。
そういう気持ちを6年間募らせてきた人たちがいる。

「助けるつもりがないなら、そっとしておいてくれ」
と言う言葉を、何度も聞いた。

そして、誰をバッシングをしたいわけでもないし、攻撃したいわけでもない。

大事にしたいのは、これらを体験したひとりひとり。

検査を受けたひとりひとり。

この場とつながる当事者である、自分を含めたひとりひとりが感じていることを、しっかり未来につないでいくこと。

被ばくから命を守りたい、と思うものたちの狭く小さな繋がりの中で、なんとかその気持ちが折れないように、支え合うしかない。

そして、僕は改めて、未来のために改憲とか安保とか消費税とか言っている人たちに
「これから起こるかも知れないことにどう対応するかより、今起こっているこれらの現状に対してどう思うのか。何か対応をするつもりがあるのか。」
を聞きたいし、その態度によって、彼らを「代議士」として信用できるかどうかを決めたいと思った。

どんないいこと言ったって、どんなに素敵な希望を語ったって、今ここにある絶望に、今ここにある嘆きに寄り添えない綺麗事は、何の薬にもならない。

今起こっていること。
今みんなが味わっていること。
それに寄り添ってこそ政治家だろう。

代議してほしい。
有権者たちが味わっていること、声に出せない声を、代わりに出してほしい。
それが、代議という仕事だろう。

混乱する政局の中、改めて、シンプルなところに立ち戻りたい。

2017年9月28日木曜日

保養、選挙、、

今週の土日は新潟にて、健康検査、免疫力アップイベント、交流、医療相談などを盛り込んだ保養企画、通称『風フェス』のスタッフ。
僕は用務員とみそ汁づくりと養生話とエコー検査助手。
被曝対策のためと思えることはなんでもやりたい。

今は、保養が意味があるかどうかという議論や、保養の理想的なあり方はどんな形か、といった「議論」をすることよりも、それぞれがやりたいと思うこと、それぞれが意味があると思うこと、それぞれが「出来ること」の範囲を大切に、できる実践、経験を積み重ねていくことが大事だと思っている。

得てして議論は対立を生みやすい。
どっちがいいかとか、こういうやりかたはいいとか、わるいとか。

今は、対立している場合じゃない気がする。
原発が何基も爆発して、その事故が未だに収まっていないって、相当な緊急事態が続いている時。

「火を消すには、バケツリレーが効果的か、ホースを使うのが効果的か」って、手を止めながら議論しているとか、ないでしょー。

でも実際は、多くの実際のケースとして「保養をしている」とか「保養に行っている」というだけで、社会的に何らかの差別を受けるということが起こっている。

だから、保養の現場のことは、伝わりにくい。

そして改めて、保養の現場で起こっていること、保養の現場を持つ者が感じている事、体験していること、気づいていること、そろそろテキスト化したりしていったほうがいいんだろうなーという気持ちを持って、今回は現場に入ってみる。

せめて、保養に思いを寄せる人たち、理解や共感を寄せようとしている人たちとの間で、何か分かち合えるものがもっとあるんじゃないかと思い始めている。
そういうことは、不特定多数に無軌道に広まるSNSで共有するよりは、ブログか、印刷物としてシェアしていくのがいいのだろうなと思ったり、ある程度練り込んだものを作って、SNSで「そういうものができたよ」と知らせるのがいいのかもと思ったり、している。

このあたりは、とてもデリケート。

なんでもかんでも語ればいいというわけではない。

「被災者は今こんな状況だ。」
と語ることで、そういう状況ではない被災者の抱えている実情や思いが掻き消えることもある。
ひとりひとり、抱えているものが違う。
一般化はできない。
一般化して、思考停止を生む、ということはよくあることだ。

「高江に住む人達はみんなこんな気持ちなんだろう」
とか、ざっくり、みんなこう、というように、誤解を生むことはよくあることではないだろうか。

「フクシマ」という言葉を嫌う人も少なくないと認識する。
「フクシマが可愛そう」
「フクシマを元気に」
「フクシマの人たち」
その謎の、架空のアイコンについて語ることで、ひとつひとつの細かな実像にピントが合わなくなっていく。

「311」という言葉も、そう。

「311が起きて以来」という語りは控えたい、と思っている。

津波のこと?

地震のこと?

原発事故のこと?

さらに、津波、と言ったって、各地で起きていることは、全然違う。

それらを一括りにすることで、解像度が粗い、漠然としたイメージを伴うアイコンが出来上がってしまう。

現場や現実や個人が、埋もれてしまう危険性を伴うアイコン。

保養を語ることの難しさの一つは、具体的な現場や現実や個人について語ることができるのか、というところにもあるだろう。

具体的にひとりひとりの実情を語る、というと、今度はプライバシーということが出てくる。

語ることで、明るみに出すことで、望ましい効果を産み出すことはありえるし、
そうやって個が立つことで、各地での裁判や交渉は今も続いている。

しかし、それが出来る人たちと、それが出来ない人たちが居ることも現実。
そして、出来る人は素晴らしく、出来ない人は素晴らしくないという判断はできない。
何かをすること、しないことは、自由だ。
何かをしなければいけないという義務や、しなければ劣っているという差別を、
放射能汚染という被害を受けながらさらに課せられるとしたら、そんなおかしなことはない。

今の状況は、何か悩みを抱える人が、そのことを話せなかったり、話しにくかったり、
孤立しやすい(バッシングすら受けやすい)傾向にあると思う。

「それは本人の問題だ」
「話し方、伝え方、あり方の問題だ」
という話もあるけど、それも酷な話だよな、とも思う。

「その話はしてはいけない」という暗黙の空気感を、僕はどうしても感じてしまうし、
保養の現場などで出会うひとりひとりの話を聞いていても、そのことを現実として感じてしまう。

「放射能」という言葉が出しにくい空気は、やっぱり不自然だし、政治決定や経済的バイアスの影響によって作られている不自然さだとも思う。

この空気がこのままであるなら、現場、個人の実情を明るみに出すことで、孤立やバッシングが強まる可能性もある。

だから、伝えにくい。

言葉にしたり、文字にしたり、知ってほしい人に伝えることをすることが、難しい。

そして、この空気を作っている原因の一つであるであろう「政治」の現場にいる人たちに、
伝えることを、コツコツとしていかなければいけないな、とも思っている。

具体的に、収束作業員の状況を例に挙げてみる。
どう考えても自分たちの労働条件がひどいと思っている作業員がいるとする。
そのことを明るみに出すことで、その企業が収束作業を請けられなくなるとう状況を作る可能性がある。
そうなった時「ここで働けなくなったら、仕事がない」と言っている高齢の作業員が同僚にいた場合、
彼は明るみに出すことより、その状況を我慢しつづけることを選ぶ可能性がある。

明るみに出すことで、自分の職場が失われること、社会的ポジションが失われることを恐れる場合と、
周辺の人間を巻き込むことになることを恐れる場合がある。

これらの例は、具体的に、収束作業員達と接触、やりとりをしている人から聞いた話を元にしている。

被曝労働者が激増していること。

一部の地域で「やっぱり被曝の影響が出ているかも」と思い直している人が増えていること。
色んな変化が起きている。
そして、関心のない人には全く関係ない話になっている。

知りたい人だけが知っている話になってきている。

関心を持てなくなってきた、と思う気持ちも、とても理解できる。

疲れや諦めや絶望、嘆き、それらをかき消すことも、励まして無理やり取り去ることもできない。

思っていること、感じていること、体験したこと、それらを共有できる空気を願う。

その空気を作っている原因であり、空気を作ることができる可能性を持っているものでもあるのが、政治なのだろう。

山本太郎議員や川田龍平議員が、国会本会議や委員会の中で、被曝、原発、被災者、という言葉を放ってくれていることが、どれだけ僕達が暮らしや活動の現場でそれらの言葉を使って動いていくことの、支えになっているか。

そういったひとつひとつの発言や質問や、その準備や、関連する話し合いの場を作ることを続けてくれている取り組み。

もしそれがひとつもなかったら、と思うとゾッとする。

今の政治に対する不満や絶望。
そこに気持ちが向くことを止めることは出来ないだろう。

でも同時に今大事なことは、今ある有り難いもの。
そこにつながって、それを増やしたり、育てたりしていく道を描きながら、ひとつひとつの選挙を見つめたい。

衆議院の中にも、原発ゼロを掲げ続けている近藤昭一議員を始め、ハラスメントを受けながらもその立場を変えず、発言や行動を続ける人たちがいる。


そういう状況の中で、僕にとっては相変わらず選挙となったら「被曝のことを話せる空気を作れるかどうか」が唯一の判断基準になっていくんだろう。

そこについて話せない候補者や政党は、応援できない。
できない、と書くと否定的に聞こえるかもしれないけれど、その気持を抑えることは今のところ難しい。
しかしそこで拒絶はしたくない。
そこで対話を止めるのではなく、粘り強くそういう問いを投げ続けたい。

できれば自分たちのコミュニティから代表者を送り出すような政治との関係性を作っていきたい。
でも突然やってくる解散選挙に毎回対応することは、本当に難しいとも思っている。

そして長い目で見た時に、、自分たちのコミュニティを形成していくこと、育てていくことを、
どんなタイミングでどんな形で政治に関わるにせよ、その土台としていたい。

政治で決定されたことを、実践する現場はコミュニティ。

被曝について語れる空気を政治が産みだしたとして、その空気を作り、育てていくのは現場。

現場で育まれるものが政治を作るし、政治が作ったものを育むのも、現場なのだと思う。

やれることは小さい。

でも、小さいことを積み重ねていく現場こそが、政治の土台なんじゃないかな、とも思う。

ひとつひとつの暮らしの中で育てていけるもの。

ひとつひとつの現場でできること。

そこで生まれる人と人のつながり。

そのつながりの質を、政治の質に反映させていけるように。

保養という取り組みに関わっていると、絶望することも多い。

「保養に関心があるということがわかるだけで家族や親戚から責められるから、名前は言えないのだけど」
という相談が最近入ったと聞いた。

そういうことのひとつひとつと、直接出会ってしまう現場。

でも、恐れることと逃げることを履き違えないようにしたい。

恐れながら、関わっていたい。

自分の中に湧いていくる怒りや恐れと共にあることで、
誰の中にもそれがあるということを、少し理解できるような気がする。

繊細で、デリケートで、センシティブなテーマだということを大切に、
ひとりひとりの、あるがままの心境を大切にしながら、
伝えること、明るみに出すことを、意識し続けたい。
世界のすべての場所から孤立するヒバクシャがいなくなる世界が必ず待っているから。