2017年6月6日火曜日

オーダーメイドについて思うこと


衣服の世界は飲食の世界と同様、とりあえず沢山作って、余ったら捨てる、ということが横行しています。
 

しかし僕は、一点のムダもなく、すべてを丁寧に作って、丁寧に使ってほしいと思っています。

そして、出来れば一度生み出したものは、縫い直したり、染め直したりして、大事に使ってほしいし、僕自身そのように使っていきたいと思っています。

その上で、作り手の立場から言うのも何ですが、作り手を大事にしてほしいと思っています。

手作りである以上、全ての品物が一点ものであると同時に「こんな色で、こんな形のものがほしい」というリクエストに応じる事は難しいということも、ご理解頂きたいと思います。

そのあたりは、 野菜や穀類の栽培と同じようなものです。

「こんな野菜を作りたい」と思っても、天候や土壌の様子などによって、思い通りのものは出来なかったりします。

むしろ、天候や土壌の様子を深く観察して、何が生み出されるのかを見つめていくような行為が手仕事だと思っています。

こうなってほしいな、という期待をかけながらも、ひとつひとつのプロセスに対して意図を持って向き合いながらも、「結果をコントロールする」のではない向き合い方で仕事をしたいと思いますし、コントロールを手放すことで、起こりうる無限の可能性に対して開いていたいと思っています。 

そして、生み出された結果と、生み出されていく経過のそれぞれを、お祝いしながら仕事をしたいと思っています。

オーダーメイドとは、そういった、血の通った信頼関係を醸成するコミュニケーションであり、文化作りなのだと思っています。

自分の作りたいものを創って、それらを手にとってもらって「身につけたい」と思ってくれる人と出会う冒険としてのレディメイド。

それも素晴らしい仕事だと思います。

そして同時に、オーダーを受けてから生地を仕入れ、裁断し、縫製し、染色し、仕立て上げて、届けていくオーダーメイドには、「その制作過程に寄り添ってくれている人がいる」という安心感や「この作品を手渡す人」が明確に見えているクリアさという素晴らしさがあります。

レディメイドの素晴らしさとオーダーメイドの素晴らしさ。

その双方が共存する世界を創っていきたいと思います。

2017年4月8日土曜日

対話についてのひとりごと

正しい音楽、間違った音楽というものがないように、正しい対話のあり方も、間違ったあり方も、ない。
正解のないテーマを、試行錯誤しながら見つめていくことのおもしろさ。
そして、実践を通じて試行錯誤を続けている人と出会えた時にあふれてくる、なんともいえない嬉しさに、眠気もふっとび、かつ癒される。
言語コミュニケーションの難しさ、奥深さ、果てしなさと真摯に向き合う人びとに、心からのリスペクトを送ります。





たどり着くことが目的なようで、歩むことそのものを楽しんでいるともいえる。


今この道を歩けている事自体がありがたい。
その道に、同朋の姿があることがありがたい。


出会いに感謝。
対話の機会に感謝。
言葉という不自由な道具を使うことで、常に自由であることに気づいていくのかな。
有限な道具を使うことで、常に無限だということに気づいていくのかな。
言葉・・・。
いつか手放すために、この道具を使っているのかもしれないなと思う。
だとしたら、いつか失われるかもしれないこの言語を、その美しさを、そのはかなさを、そばにある限り大事に大事にしていきたいと思う。
言葉を通じて生まれる繋がりのひとつひとつを、大切にお祝いしていきたいと思う。

追記:東京の財産は人間、だと思っている。たくさんの人たちの魅力。本質の輝き。そこに触れる機会が日々やってくる濃厚Sessionデイズ。そして、そのような出会いをもたらしているのは場の力。シェアハウス、カフェ、場を作り、出会いや化学反応が生まれる事を静かに支える人びと。そのありがたさをしみじみ感じています。本当にありがとう。



2017年4月6日木曜日

お金についてのひとりごと

ギフト経済、ギフト・エコロジー、地域通貨、物々交換。
どれも素晴らしい取り組みだと思うし、それらを経験することで沢山の学び、気付きが得られるとも思う。
それはとても勇気のいる、しかし希望に満ちた冒険だ。
そしてその冒険を共に出来る仲間がいることも、とても大きな希望。





一方でこうも思う。
お金を払いたくないから、ギフト経済。
お金を払いたくないから、物々交換。
お金を払いたくないから、地域通貨。
negativeな思いを、何かで塗り替える事は出来ない。
何か新しい概念を取り入れていく事も大事だが、それまで持っていた思い込みや想念を見つめて、受け止めなおして手放すProcessも、一方でとても重要だと思う。
円、ありがとう。
ドル、ありがとう。
メガバンク、ありがとう。
私を支えてくれてありがとう。
愛と感謝と敬意を持って、関係性を新たなものにしていくこと。
・・・



negativeな思いやnegativeな捉え方そのものと対峙して、
その思いや捉え方そのものに変化を起こさなければ、
それは対処療法にしかならないだろう。
風邪ひいて風邪薬飲むみたいに、その瞬間は症状が収まるが、
その症状を生み出す根っこに変化が起きなければ、
いずれ形を変えて新たな症状が出て来る。
その症状の原因を「お金のせい」とか「バビロンのせい」とするのは、
風邪はウイルスのせいとか、環境汚染のせいとか言っているのと一緒で、
結局、根本原因を引き受けていないことになる。
そして自分の身の回りに起こる出来事や、自分の感情や想念の動きの原因を外部に求めている以上は「原因は外にあるのだから、私に出来ることはない」という無力、諦めに繋がり続けることになるのではないかな。




ギフトや交換経済や縄文式や地域通貨や円やドルなどの法定通貨。
それらの形と、それらを取り扱う想念や態度や思い込み。
どちらに変化を起こす事が目的なのだろうか。
法定通貨を壊したらOKなのだろうか。
バビロンを潰したら解決なのだろうか。
敵は外にあるのだろうか。
お金を哲学すること(または瞑想すること)の大切さを、改めて思う今日このごろ。
忘れちゃいけないことは、世界に存在する全ては、愛につながっているということ。全ての存在に僕たちは愛を宿すことができるということ。ドルも円もバビロンも、すべて愛と直結しているということ。


2017年3月10日金曜日

3月7日の染め@冨貴工房

最近は弁柄の探求にはまっています。
土。
深いっす。
土(弁柄)と木(茜/綿/麻)と金(明礬)と水と火。
五行の働き。
それぞれのかかわり合いの美しさにしみじみ感じ入る時間。
この日は綿麻手拭いと麻褌を製作。


・綿麻手拭い
茜染めと、弁柄染め+茜染め。
弁柄の土台の上に茜を入れることで出る深みと、
無地の上に茜を入れることで映える白。
No automatic alt text available.

Image may contain: night and indoor

Image may contain: night and outdoor
Image may contain: indoor


・麻褌
冨貴工房スタッフのどいぱんが縫製してくれた褌に弁柄染め+茜染め。
丸太を使った模様付けも綺麗に入りました。

No automatic alt text available.


・・・

今日は京都で憲法のお話し会があるので、そこで久しぶりに冨貴工房の染め物を販売しようと思います。
基本的人権。生存権。
生きるための権利を為政者に奪われる事のないようにという、
いわば「歯止め」になっているのが憲法。
その権利を手にするのは、日々の暮らし。
生きる喜びを、自分達の手で増やしていく。

2017年3月8日水曜日

アースデイ永田町への想い

2014年 衆議院議員会館
2015年 参議院議員会館
2016年 参議院議員会館
で開催してきたアースデイ永田町。

何の組織でもない、純粋に思いでつながる数十人で、手探りの試行錯誤を重ねながら、企画・運営を続けてきたアースデイ永田町。

今日は改めてアースデイ永田町」を思いついたきっかけと、その時の思いを振り返ってみたいと思います。

大きなきっかけは、2013年11月に主催した「特定秘密保護法案」についての院内勉強会


「この時期に院内集会を開きたい」という気持ちは、政権がどんどん軍国主義化、独裁政権化している実感が強まってきた2012年12月の衆院選後に決定的になって、参院選が終わった時には具体的な相談を始めていた。


選挙を通じて政治に関わることに関心を持ち始めた人達が永田町に出入りできる機会を作りたかった。


この日のゲストはプロジェクト99%の安部芳裕さんと前参院議員の川内博史さん。


有意義なお話を聞けたし、20代、30代の参加者も少なくなかったのが嬉しかった。


でも、、質問タイムはベテラン活動家のような人達の独演やアピールが続き、
僕は正直ちょっとうんざりした。


川内さんを目の前に対して「なかなかまともなことを言うじゃないか」とか「もっといやなやつかと思ったけど」といった言い方をする発言を聞いて、気分が悪くなった。


議員をなんだと思っているんだろう、と思った。


自分たちは正しくて、間違った考え方をしているやつらがいる、というような雰囲気も感じた。


僕は、「自分たちが正義」だという思い込みや「悪さをしている連中を変えなければいけない」という思想が本当に苦手。


正義を掲げて相手を倒す?


それってアメリカ政府がフセインやアルカイダに対して言っている事と変わらない。


その、秘められた戦争のバイブス、暴力性、を敏感に感じ取った若者達は、、
もう院内集会には来なくなるんじゃないかな。
と思った。



「僕たちの中に戦争がある。」
この感覚は、戦争や原発に関わり始めてからずっと感じてきたこと。


そして、ずっと活動を続けてきた人達の集会に若い人が近づかないという現実も、
ずっと感じてきたこと。

「若い人たちとつながりたい」
という声を全国各地で10年間聴き続けてきた。

10年前、その声を受けて、若者達と年配者をつなぐようなイベントを何度も企画した。
年配者の戦争体験話や反戦論の話はとてつもなく長く、、
若者は聞いていてどんどん疲れていく。
自分の話を聞いてくれるわけでもなく、アピールばかりされる集会の空気にも、疲れていく。


そうやって同世代の仲間が、一度は運動に歩み寄って、また離れていく。


そういう光景をずっと見てきた。


誰にもわかってもらえない、という時代が長かった人たちの中に積もりに積もった思い。
僕は、20代後半くらいから戦争体験者の皆さんやチェルノブイリ原発事故以前から反原発の活動をしているような人達と一緒に活動をしてきた。
その中で、彼らの痛切な想いが痛いほど伝わってきた。
僕自身、、戦争や原発について語り始めた頃、、友達が激減したし、孤立を味わった。
影からのバッシングも随分受けてきた。
たった数年の経験だけど、そのひとつひとつの経験で悲しい思いもした。
こういった経験は、とても辛いし、怒りも不満も湧いて当然。
そんな時期が何十年も続いたら、、と思うと、責めることはできない。


そう思って今までやってきたけど、、、
あの時感じた、議員会館の中に渦巻く負のエネルギーはすごかった。
僕が勝手にそう感じただけで、本来はエネルギーに正も負もないのかもしれないけど。


主催者として会場に立つ時、僕はなるべく場の空気全体を引き受けるようにしている。
なるべく全てを受け止めて、全てを感じられるように。
そこで感じた重さ、辛さ、不満、怒り、悲しみ、絶望、依存。
議員会館の中にあるエネルギーを改めて感じた。
僕がそういったヘビーなものを感じるのは、僕の中に同質のものがあるからだと思う。
世界と自分は映し鏡。
議員会館に来ることで、僕の中のそういったエネルギーと対峙させられる。
その感じもきつかった。


保護法勉強会を経て、、もう院内集会はやめよう、と思った。
それくらい会場で受け取った怒りや不満のエネルギーはきつかった。
場に撒き散らされるこれらのエネルギーと向き合いたくないと思った。
怒りたいやつは勝手に怒ればいい。もう勝手にやってくれ。と思った。
理屈を越えた感情の爆発。

そして数日、頭を冷やして思った。
本当に僕は議員会館、永田町に行くのをやめていいのか?
どうしてもその事に納得できなかった。
だから、自分の心をよく見つめてみた。

僕の中に不満がある。
その不満の奥には、何らかの望みがある。


その望みは、永田町の中で行われてきた大変な交渉の数々、悲しい出来事、嘘や騙し合い、不安や恐怖、怒り、対立、そういったエネルギーを転換したいという思いであり、それらのエネルギーをジャッジせず、責めず、寄り添い、共感を持って受け入れ、癒したい、という思いだった。


たぶんここで、多くの人がずいぶん傷ついた。
ここで多くの人が「相手に話をゆっくり聞いてもらう」機会を持てずにきたかもしれない。


そして僕たちは「お任せ民主主義」そのままに、この場所を、この場所で行われる大事な議論の数々を、他人事として放置してきた。


大変な交渉、大変な苦労を、一部の人たちに押し付けてきた。


交渉や勉強や請願のような形でこちらの要望を一方的に伝えるのではない場を作ること。


双方向の対話、相手の話を、心からの敬意を持って受け取り合う場を作ること。


意見の違いを尊重する場。


相手の意見に反論があっても、相手の人格そのものには敬意を持ち続ける姿勢を持てるような場。


戦争を反戦運動で止めるのではなく、、僕たち自身が争いや対立から降りていく。


戦争を降りていく。


そういった対話の場を作りたいと思った。


そして、言語以外の対話を大事にしたい。


頭ばかりに偏って心身に負担をかけ続けるバランスを変えていくこと。


「相手を変える」という事ではなく「相手のライフスタイル、仕事のスケジュールを理解して、僕たちが彼らに対して出来る貢献をしていく」ということ。


議員さんは孤立していると思っている。


会うたびにそう思う。


僕らが会いに行かないから、忙しい彼らは仕事で出会う付き合いの中からしか情報も入らない。


オーガニック石鹸なんて、知らない。


忙しすぎて知らない。


僕らが会いに行かないから知らない。


「もっと勉強しろよ」「無関心だな」とは思えない。


そう思えないくらい、彼らは実際忙しい、と思った。


僕たちはずいぶん彼らと距離をとってきてしまった。


これ以上距離ができたらどうなっちゃうんだろう。


それは、単純に、寂しい。


このまま彼らとまともに対話できないまま、戦争に向かうとしたら寂しすぎる。


「僕たちは、あなたと争うつもりは毛頭ありません」
という意思表示を、はっきりしめしたい。


それが、僕がアースデイを永田町でやりたいと思ったきっかけです。


相手を変えてやろう、は相手への敬意が足りない態度。


僕らが正しくて、相手が間違っている、も奢った態度。


お任せ民主主義のせいで、負担が議員会館に集まっている。


僕らが見るべき世界のネガティブな事象を、見つめて背負ってきた場所。


今までお疲れ様でした。


ありがとう。


まずはそこから始めていく。

伝わなくても、伝わるまで、その気持ちを持ち続ける。


その気持ちを育て続ける。

味噌が発酵するように、布に色が入るように、変化はゆっくり起こる。

その時間を、丁寧に過ごしていく。

すぐに届かなくても、いつか届くものがある。



根本的なところで僕達が願っているものは、同じだと思う。
今まで永田町に通い続けて、そのことをはっきり感じる。

つながり合いたい。
つながり直したい。
つながりを実感したい。
恐れや不安、相手に攻撃されるかもしれないという気持ちを持たずにいたい。
リラックスしたい。
のびのびしたい。

手段や方法や作法や、事情や、持っている情報の違い。
ひとりひとりの考え方を支える世界観、家庭環境の違い。
それぞれが抱えている感情。
それらを乗り越えてつながりあうことは、簡単ではないだろう。

それでも僕らは、少なくとも刀で斬り合うようなやり方ではないやり方で、
意見の違う者同士で対峙できるように、確かに変化をしてきている。

長い政治の歴史の中に横たわる、毒を盛ったり盛られたり、殺した、殺されたりの記憶。
騙し合い、殺し合い、恨み辛みの連鎖。
長い長い歴史の中で、人と人の関係性は少しずつ変化している。

淡々と、地道に、人と人との間で交換されるエネルギーの質的変化を大切に大切に、大事に大事にしていきたいと思っています。

永田町に感謝を。
永田町にお祝いを。
永田町に愛と敬意を。

そして、この聖地に関わる私たち自身の霊的成長を。

永田町、いつもありがとう。

感謝 拝

アースデイ永田町 http://ameblo.jp/earthday-nagatacho/

2017年3月1日水曜日

Sebastpol / Petalma seed bank

2016年11月25日
カリフォルニア州のSebastopolを訪ねました。



これはSebastopolのTOWN HALL。
日本でいう市役所。
外に並んでいるのは雨水タンク。
雨水を貯めて、施設内で使っています。


市長自ら、雨水利用と雨水タンクについてのワークショップを開いているそうです。



「Rain is a Gift. Harvest it.」


Sebastopol市内の車道。
これはCity Repairという取り組み。
もともとは、PortLandから始まった取り組みで、
地元のアーティストなどがガイドしながら、
子ども達が路上に絵を描きます。
この取組のおかげで、車の走行速度が落ちたり、ゴミが減ったり、
犯罪が減ったり、色々ないいことが生まれているそうです。
主役はあくまで子どもたち。



そのSebastopol市内から車で30分ほど東に行くと、
Sonoma CountyのPetaluma町の市街地に、元銀行の建物を再利用した、
遺伝子組換えのない種を扱うSeed Bankがあります。



※Countyは日本の「郡」のような行政区域の名前です。

街のど真ん中に種の銀行◎



「GMO FREE」
Sonoma Countyは、
「遺伝子組換えの種子を受け入れません」
という宣言をしています。


中は広く、1階と地下1階があります。


ずらりと並ぶ種。








「今、これが蒔き時ですよ」的なコーナーがあったり。



「HEIRLOOM SEEDS」

HEIRLOOMとは、遺伝子組み換えではなく、
F1のような掛け合わせもしていない種。
日本で言う「在来種」「固定種」のこと。



昆布も売っていました。



「The Whole Seed Catalog」
種のカタログ。
カラーで分厚く内容充実。写真はとても綺麗。
このカタログを作っているメンバーが中心になって、
この町の近くにあるSanta Rosaで毎年秋に「Heirloom expo」という
国際的なイベントが行われ、2016年はインドで種の権利を守る活動をしている
ヴァンダナ・シヴァも参加したそうです。

THE NATIONAL HEIRLOOM EXPOSITION



養蜂コーナーもありました。
蜂蜜の種類の違いのマップなど、情報がきめこまか。

養蜂にかぎらず、何かを始めようと思った人の助けになるものが揃っています。







こちらは道具コーナー。





本も色々充実。
土のこと、発酵のこと、アーバンファーミング。

丹羽で食べられるものを育てる、EDIBLE GARDEN。


Fermentation=発酵
Californiaでは色んな物をピクルスにしている。











 町の中で何度か見かけたポスター。
「GO LOCAL FIRST」



楽しく、前向きに、 明るく、アーティステックに。

地域と、暮らしと、社会活動。
経済、政治、生活。
それらの間の境界線は曖昧で、別々のことのようでつながっている。

町のそこかしこで、それらを意識的につなげようとしている意志を感じました。


2017年2月22日水曜日

11月23日〜24日 サンフランシスコ市滞在

11月22日
カリフォルニア州サンフランシスコ空港に到着。

現地時間で16時。
この時、日本時間では朝の9時。

本来、一晩寝た後に迎える朝を、
ほぼ徹夜明けのような状態で迎えた感じ。
意識と体はそんな感じなのに、
目の前に広がる世界は夕方。

徹夜明けハイのような状態で、
サンフランシスコの町を歩く。


MISSIONというエリアはサンフランシスコの中でも、
メキシコ系の移民が多いエリア。

同じ市内でも、エリアごとに住んでいる人や雰囲気が違う。

多民族国家の縮図のように地域が出来上がっているよう。

このお店は、MISSIONにある完全ヴィーガン対応のメキシコ料理店。

名前は「Gracias Madre



開店当初は「ここでそのようなお店を開いてもやっていけるのか」という声もあったそう。

それはおそらく、外食に高額を払える人はこのストリートにどれだけいるのか、という事と関係しているのだと思う。

しかしこのお店、日々賑わっているそうで、この日は流しの男性がメキシコ音楽を奏でてチップをもらって去っていったり、花束の行商が出入りしたり、賑やかな雰囲気でした。






町の中にある大きな建物に全面、アートのように絵が描かれていました。
この建物は女性のためのサポートや、ヨガのワークショップなどの集まりを開く、
コミュニティの集会所のようなもので、Women's Buildingといいます。






町の中に壁画(mural)という文化はメキシコ由来と言われています。
この壁画の中で虹色の旗を掲げているのは、ハーヴェイ・ミルク。
彼は写真家で、市議会議員にもなった人で、自身がゲイであることもあり、
性差別や人種差別を無くすための具体的な取り組みをいくつも行ってきた人です。






レインボーの旗は、ゲイやレズビアンといった人達が差別の目を向けられることなく自由に暮らせるエリアというメッセージで、虹色の横断歩道もありました。



ここはハーヴェイ・ミルクの建てた写真や映像の学校です。






子ども達が遊べるスペースが広々と用意されています。






1070年台の公民権運動を支えた BLACK PANTHERSの写真展がハーヴェイ・ミルク学校で開催されるというフライヤーです。
BLACK PANTHERSのメインの活動は、子どもたちに無料で食事を提供し続けることだったといいます。



The American Dream 
starts with the neighborhoods...

ハーヴェイ・ミルクの言葉です。




サンフランシスコで最初に建てられたキリスト教会Mission Dolores Churchを訪ねました





船でやってきたキリスト教徒が、
ここにいた先住民を踏みつけにしている様子。
この人形のように、ここに教会が立つにあたっての歴史について、
たくさんの展示がありました。






サンフランシスコ周辺は大きな湾になっています。
先住民の多くは、カヌーのような舟を上手に乗りこなす人達だったそうです。



教会の中の墓地のエリアの中に、
先住民の人達が暮らしていた家のレプリカの展示もありました。

入植からの歴史を知ったうえで、その延長線上にある今を生きている人びとの姿。

そして、ハーヴェイ・ミルクが、ブラックパンサーが、それぞれの時代のそれぞれの運動が、ひとつひとつ作り出した現実が積み重なって、今という世界が目の前に広がっている。

誰かが動いた結果としての今の社会。

そんなことをしみじみ思う上陸直後の日々でした。

太陽の光を浴びて散策をしているうちに、少しずつ時差ボケも解消してきたような気がします。