2017年3月8日水曜日

アースデイ永田町への想い

2014年 衆議院議員会館
2015年 参議院議員会館
2016年 参議院議員会館
で開催してきたアースデイ永田町。

何の組織でもない、純粋に思いでつながる数十人で、手探りの試行錯誤を重ねながら、企画・運営を続けてきたアースデイ永田町。

今日は改めてアースデイ永田町」を思いついたきっかけと、その時の思いを振り返ってみたいと思います。

大きなきっかけは、2013年11月に主催した「特定秘密保護法案」についての院内勉強会


「この時期に院内集会を開きたい」という気持ちは、政権がどんどん軍国主義化、独裁政権化している実感が強まってきた2012年12月の衆院選後に決定的になって、参院選が終わった時には具体的な相談を始めていた。


選挙を通じて政治に関わることに関心を持ち始めた人達が永田町に出入りできる機会を作りたかった。


この日のゲストはプロジェクト99%の安部芳裕さんと前参院議員の川内博史さん。


有意義なお話を聞けたし、20代、30代の参加者も少なくなかったのが嬉しかった。


でも、、質問タイムはベテラン活動家のような人達の独演やアピールが続き、
僕は正直ちょっとうんざりした。


川内さんを目の前に対して「なかなかまともなことを言うじゃないか」とか「もっといやなやつかと思ったけど」といった言い方をする発言を聞いて、気分が悪くなった。


議員をなんだと思っているんだろう、と思った。


自分たちは正しくて、間違った考え方をしているやつらがいる、というような雰囲気も感じた。


僕は、「自分たちが正義」だという思い込みや「悪さをしている連中を変えなければいけない」という思想が本当に苦手。


正義を掲げて相手を倒す?


それってアメリカ政府がフセインやアルカイダに対して言っている事と変わらない。


その、秘められた戦争のバイブス、暴力性、を敏感に感じ取った若者達は、、
もう院内集会には来なくなるんじゃないかな。
と思った。



「僕たちの中に戦争がある。」
この感覚は、戦争や原発に関わり始めてからずっと感じてきたこと。


そして、ずっと活動を続けてきた人達の集会に若い人が近づかないという現実も、
ずっと感じてきたこと。

「若い人たちとつながりたい」
という声を全国各地で10年間聴き続けてきた。

10年前、その声を受けて、若者達と年配者をつなぐようなイベントを何度も企画した。
年配者の戦争体験話や反戦論の話はとてつもなく長く、、
若者は聞いていてどんどん疲れていく。
自分の話を聞いてくれるわけでもなく、アピールばかりされる集会の空気にも、疲れていく。


そうやって同世代の仲間が、一度は運動に歩み寄って、また離れていく。


そういう光景をずっと見てきた。


誰にもわかってもらえない、という時代が長かった人たちの中に積もりに積もった思い。
僕は、20代後半くらいから戦争体験者の皆さんやチェルノブイリ原発事故以前から反原発の活動をしているような人達と一緒に活動をしてきた。
その中で、彼らの痛切な想いが痛いほど伝わってきた。
僕自身、、戦争や原発について語り始めた頃、、友達が激減したし、孤立を味わった。
影からのバッシングも随分受けてきた。
たった数年の経験だけど、そのひとつひとつの経験で悲しい思いもした。
こういった経験は、とても辛いし、怒りも不満も湧いて当然。
そんな時期が何十年も続いたら、、と思うと、責めることはできない。


そう思って今までやってきたけど、、、
あの時感じた、議員会館の中に渦巻く負のエネルギーはすごかった。
僕が勝手にそう感じただけで、本来はエネルギーに正も負もないのかもしれないけど。


主催者として会場に立つ時、僕はなるべく場の空気全体を引き受けるようにしている。
なるべく全てを受け止めて、全てを感じられるように。
そこで感じた重さ、辛さ、不満、怒り、悲しみ、絶望、依存。
議員会館の中にあるエネルギーを改めて感じた。
僕がそういったヘビーなものを感じるのは、僕の中に同質のものがあるからだと思う。
世界と自分は映し鏡。
議員会館に来ることで、僕の中のそういったエネルギーと対峙させられる。
その感じもきつかった。


保護法勉強会を経て、、もう院内集会はやめよう、と思った。
それくらい会場で受け取った怒りや不満のエネルギーはきつかった。
場に撒き散らされるこれらのエネルギーと向き合いたくないと思った。
怒りたいやつは勝手に怒ればいい。もう勝手にやってくれ。と思った。
理屈を越えた感情の爆発。

そして数日、頭を冷やして思った。
本当に僕は議員会館、永田町に行くのをやめていいのか?
どうしてもその事に納得できなかった。
だから、自分の心をよく見つめてみた。

僕の中に不満がある。
その不満の奥には、何らかの望みがある。


その望みは、永田町の中で行われてきた大変な交渉の数々、悲しい出来事、嘘や騙し合い、不安や恐怖、怒り、対立、そういったエネルギーを転換したいという思いであり、それらのエネルギーをジャッジせず、責めず、寄り添い、共感を持って受け入れ、癒したい、という思いだった。


たぶんここで、多くの人がずいぶん傷ついた。
ここで多くの人が「相手に話をゆっくり聞いてもらう」機会を持てずにきたかもしれない。


そして僕たちは「お任せ民主主義」そのままに、この場所を、この場所で行われる大事な議論の数々を、他人事として放置してきた。


大変な交渉、大変な苦労を、一部の人たちに押し付けてきた。


交渉や勉強や請願のような形でこちらの要望を一方的に伝えるのではない場を作ること。


双方向の対話、相手の話を、心からの敬意を持って受け取り合う場を作ること。


意見の違いを尊重する場。


相手の意見に反論があっても、相手の人格そのものには敬意を持ち続ける姿勢を持てるような場。


戦争を反戦運動で止めるのではなく、、僕たち自身が争いや対立から降りていく。


戦争を降りていく。


そういった対話の場を作りたいと思った。


そして、言語以外の対話を大事にしたい。


頭ばかりに偏って心身に負担をかけ続けるバランスを変えていくこと。


「相手を変える」という事ではなく「相手のライフスタイル、仕事のスケジュールを理解して、僕たちが彼らに対して出来る貢献をしていく」ということ。


議員さんは孤立していると思っている。


会うたびにそう思う。


僕らが会いに行かないから、忙しい彼らは仕事で出会う付き合いの中からしか情報も入らない。


オーガニック石鹸なんて、知らない。


忙しすぎて知らない。


僕らが会いに行かないから知らない。


「もっと勉強しろよ」「無関心だな」とは思えない。


そう思えないくらい、彼らは実際忙しい、と思った。


僕たちはずいぶん彼らと距離をとってきてしまった。


これ以上距離ができたらどうなっちゃうんだろう。


それは、単純に、寂しい。


このまま彼らとまともに対話できないまま、戦争に向かうとしたら寂しすぎる。


「僕たちは、あなたと争うつもりは毛頭ありません」
という意思表示を、はっきりしめしたい。


それが、僕がアースデイを永田町でやりたいと思ったきっかけです。


相手を変えてやろう、は相手への敬意が足りない態度。


僕らが正しくて、相手が間違っている、も奢った態度。


お任せ民主主義のせいで、負担が議員会館に集まっている。


僕らが見るべき世界のネガティブな事象を、見つめて背負ってきた場所。


今までお疲れ様でした。


ありがとう。


まずはそこから始めていく。

伝わなくても、伝わるまで、その気持ちを持ち続ける。


その気持ちを育て続ける。

味噌が発酵するように、布に色が入るように、変化はゆっくり起こる。

その時間を、丁寧に過ごしていく。

すぐに届かなくても、いつか届くものがある。



根本的なところで僕達が願っているものは、同じだと思う。
今まで永田町に通い続けて、そのことをはっきり感じる。

つながり合いたい。
つながり直したい。
つながりを実感したい。
恐れや不安、相手に攻撃されるかもしれないという気持ちを持たずにいたい。
リラックスしたい。
のびのびしたい。

手段や方法や作法や、事情や、持っている情報の違い。
ひとりひとりの考え方を支える世界観、家庭環境の違い。
それぞれが抱えている感情。
それらを乗り越えてつながりあうことは、簡単ではないだろう。

それでも僕らは、少なくとも刀で斬り合うようなやり方ではないやり方で、
意見の違う者同士で対峙できるように、確かに変化をしてきている。

長い政治の歴史の中に横たわる、毒を盛ったり盛られたり、殺した、殺されたりの記憶。
騙し合い、殺し合い、恨み辛みの連鎖。
長い長い歴史の中で、人と人の関係性は少しずつ変化している。

淡々と、地道に、人と人との間で交換されるエネルギーの質的変化を大切に大切に、大事に大事にしていきたいと思っています。

永田町に感謝を。
永田町にお祝いを。
永田町に愛と敬意を。

そして、この聖地に関わる私たち自身の霊的成長を。

永田町、いつもありがとう。

感謝 拝

アースデイ永田町 http://ameblo.jp/earthday-nagatacho/