Life is journey ~私たちのストーリーを作っていく〜 2015.02

Life is journey ~私たちのストーリーを作っていく

ようやく旧暦の新年が明けましたね。この数年は年越しの節目に塩を炊き、三が日に味噌を仕込み茜染めをしたりして過ごすのが日課になってきています。そこで改めて思うのは「STORY POWER」の存在。たとえばマスメディアや教育機関が語り続けるストーリーはかなり強力です。「冬至の十日後が新年」とか「予防接種を受けさせないなんて幼児虐待」とか「肉を食べないと強くなれない」とか。僕は、それら誰かのストーリーに対抗するより、淡々と自分達のストーリーを生きてしまうこと、自分の望むストーリーの語り手になってしまうことが大事だと思っています。
たとえば「新年は立春に近い新月」というストーリーを淡々と生きることで、そのストーリーは現実になっていきます。そして、そのストーリーを共有する仲間たちとは、新しい現実を紡ぎ続けていくことができます。
今大手メディアが伝えるお金についてのストーリーの骨子はアベノミクスでしょうか。大企業やエリートと一般庶民の間には経済格差が深刻なレベルで広がっていて、庶民はデフレ、不景気に苦しんでいて、不安や恐怖の中で無力感を増幅しているというストーリー。このストーリーに乗っかってしまうと、無力感にさいなまれて考えることや新しい行動を起こすための情熱が削がれてしまったり、不安からとにかくなんでも安く買おうとして、誰かが作った何かを安く買い叩くことで誰かの人件費を安くする一端を担い合って、お互いを貧しくしていくような足の引っ張り合いを続けるループにはまってしまったり。
僕はこの十年、自分の仕事の価値を自分で決めてきました。現在は年間300本以上になっているワークショップの参加費、講師料を毎回いちいち話し合って決めています。これはとても面倒くさい作業です。気も使うし頭も使います。

でも今思うのは、この面倒くさい作業を人任せにしてきたこと、大抵は他人がつけた値段をおとなしく受け入れて思考停止してきたことにこそ、問題があるんじゃないかと思っています。「自分で自分の仕事に値段をつける」という意識的な行為を続けることで、他人が付けた値段に対して想像力を働かせたり、敬意を払ったりすることができるようになってきた気がします。誰かが作ったストーリーを抜け出して、純粋に生産者のストーリーを読み取ろうとすると、彼らの生活や想い、加工費や仕入れ値などが透けて見えてきて、値切るどころか「この値段では安いくらいだ。もっと払いたい。」という気持ちすら生まれてきます。お金を使うという行為を消費ととるか、敬意や感謝の現れととるか。自分の仕事を正当に評価をして、その価値をきちんと認めること。この意識的な態度を通じて、他人の仕事の価値を認めて気持ちよく支払うことができるようになってきました。少なくとも僕は自分達の価値を下げることで貧しさのループにはまり「これしか払えなくてすみません」というエクスキューズをしあうような堂々巡りからは抜けたい。大事な仕事をしている仲間に対して、納得のいく額の投資をしていける人間でありたいと思っています。そしてそれぞれが自分自身の仕事に誇りを持って、消費でない、お互いをエンパワーしあうような経済の物語りを皆で育んでいけたらと願っています。