Life is journey 〜日本列島人の旅路の分岐点としての今を思う〜 2014.12

Life is journey 〜日本列島人の旅路の分岐点としての今を思う〜

安倍首相の顔を思い出す度に「日本を取り戻す」というセリフが浮かんでくる。そして「日本って何だろう」という疑問が湧いてくる。
そして、その疑問に向き合っているうちに「いい問い掛けをしてくれたものだ」と、ちょっと感謝の気持ちが湧いてきたりもしている。
彼の思う日本と僕が思う日本は違ったりする。彼の意見に反対、という事ではなく。
「僕がこれまで考えてきた日本像と、彼の考えているそれは違うものだな」という意味だ。
相手の思想や考えに反応したり反対するだけでは、相手に依存していることと変わらない。
自分にとっての日本、自分にとっての日本列島の姿を捉え直すことを、ひとりひとりに求められているのかなと思ったりする。
「アベノミクスに反対するなら代案を出せ」という主張も上から目線ぽいけど、一理あるとも思う。
自分の世界観、自分の理想を見つめていき、その理想を現実のものにしていくことに対して責任をとっていくあり方が今、決定的に欠如しているのだと思う。
意見で世界は変わらない。あくまでも行動や態度でこそ変化は起きる。
日本列島のもともとの経済は、大資本家の考えに対して従順な生産者と従順な消費者が支える今のような経済ではなかったはず。
経済そのものを否定するのではなく、理想の経済のあり方を責任を持って見つめなおしたい。日本列島にはたくさんの旅人が行き来していたという。
彼らがメディアとなり、海や山や川や町で作られた様々なものの価値を伝えてきた。
土地に根付いて暮らす人たちは田畑を耕し、手仕事を重ね、人々が集まれる場所を作ってきた。旅する人たちはそこに集まり、情報やものを交換してきた。
資本主義というより交易主義のような経済。もっといえば多様性交易経済。日本列島の環境はびっくりするぐらい多様性に富んでいる。
ひとえに海といっても様々な性質の海があるし、山も川も里も町もまた同じ。
だからこそ、自分の生まれた場所、育ってきた場所によって気質も違うし、仕事の仕方もライフスタイルも変わっていて当然。
お互いの多様性を尊重しあう根底には「私は何者であるか」をひとりひとりがきちんと自覚しているという精神性があったのだと思う。
その感覚は自分の事だけを見つめていても見えてこない。自分自身が何によって生かされているかを深く実感する事によって、その意識は芽生え育っていくのだろうと思う。
この10年ほどのあいだ日本列島を旅しながら、自分の衣食住を支えてくれている人たち、そんな私たちを支えてくれている自然界と繋がりなおすような体験を続ける中で見えてきた日本列島の姿。
それは安部総理が語るものとは違ったし、歴史の教科書やメディアが語るものとも違うものだった。
そして今、意見の違いやものの見方の違いを持つ人たちを批判、否定することよりも、自分の見てきた世界、自分が大事だと思った価値観に対してどのように責任ある貢献ができるか、ということをこそ自分に問いたいと思っている。
免疫力を上げたいと思っているだけで免疫力は上がらない。日本社会に病みを感じるなら、具体的な治療が必要。
病気であると騒ぎ立てるより、黙々と治療を続けたいと改めて思った今年の12月だった。