イラク戦争と地層処分





私たちはこの日、平和へのピースウォークを実施します。

平和を祈りながらあなたも一緒に歩きませんか?

平和を祈っているのは私一人じゃないし、あなた一人でもありません。

私にとっての平和、あなたにとっての平和。

平和の意味するところは人それぞれだと思います。

しかし、世界平和はみんなが持っている共通の願い。

平和を祈る気持ちで世界が一つに結ばれる日が来ることをあなたも想像してみて下さい。

一人でも多くの参加を待っています。

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このような呼びかけの元に、2003年3月2日、
当時住んでいた名古屋の街を歩く「イマジン・ピースウォーク」を主催した。 

2001年9月11日にニューヨーク起こった同時多発テロ事件をきっかけに、アメリカのブッシュ政権は国際テロ組織と断じた組織との戦いを国家戦略とし「アメリカの防衛のためには先制攻撃が必要」とする方針を決めた。

アメリカ合衆国はイラク政府が大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争に踏み切った。 

そして日本の自衛隊をイラクに派兵する ムードが高まっていた。 

そのような不穏な空気の中で、スケーターやBMXライダー、キャンドルアーティストやDJ、ボディワーカーといった普段の遊び仲間の中で、この事について何も語らず、何もしないわけにはいかないという空気が生まれた。 

まずは皆で語らおうという声や「すぐにデモをやろう」という声まで、
様々な意見が飛び交った結果「誰かを責めるのではなく、自分 たち自身が平和の歩みを進めていきたい。」というコンセプトのもと「パンゲア」というグループを作ってピースウォークを主催する流れとなった。 







このピースウォークは、特定の政党や団体に属さない若者達の動きということで地元の新聞各社が取り上げてくれ、そのおかげもあってたった 1 週間の呼びかけでウォークスタート時には300人ほどの人が集まり、歩道を歩く通行人も巻き込みながら最終的には総勢500人以上の人達と歩くことができた。 

「新聞記事を見て友達同士で誘い合ってやってきた」という小学生から、自分自身の戦争体験を伝えながら憲法 9 条を守る活動をしている方まで、それまで出会ったことのないような多様な人達が入り混じったウォーク。 

全体の警備をしながら、みんな自分たちと同じように色んな思いを抱えているという事を知った。

そして、そんな思いもこうやって表に出さない限り気付かれる事なくかき消されてしまうということも実感した。 

デモやパレードやウォークといった路上表現活動は「誰かに何かをアピールをする」「メッセージを届ける」といった意味合いだけでなく、同じ思いを持つ者同士が出会い、お互いの持っている思いや情報や知恵を交換しあう場として重要である、と今も変わらずそう思う。



人の思いはともすれば孤立してしまいがちだし、その思いが世間の主流と違う場合はなおさらだろう。

右も左もわからないままに路上に飛び出してみたら、同じような思いを持つ人達と一気に出会うことが出来たし、なんとな く嫌だなと思っていたような現実をより詳しく知ることができた。

戦争のからくりや原子力産業の実態も、この時に出会った人たちから教わった。 

ウォークに参加された方々との交流の中で、それまで漠然としか認識していなかった戦争と経済の関係、核戦争と原発政策との関連性、戦後史の実態、自分達の足元の暮らしと戦争との関係について、さまざまな角度から世界の現状に対する理解を深めていった。 

ウォーク前後、新聞やテレビの取材に応じて自分の思いを語る度に「自分の思いを公の場で口に出してしまった以上、もう後戻りはできない」と思った。

口に出したことの責任は自分で取っていくもの。

ここから新しい道を歩いていくことになる。

この歩みがどこに向かうかは分からないが、歩む道の上で出会うひとつひとつの現実に、忠実かつ正直に向き合っていこうと心を決めた。 

その頃は、4 年間勤めたソニーミュージックを退社したばかりだった。

入社直後からの 3 年間、音楽業界の中で言えばトップアーティストと呼ばれるような人たちの現場を体験し続け、最後の1 年間は、北陸地方・東海地方のレコード店を回る営業職を務めた。

そしてこの最後の1年間に、入社してからうすうす感じていた違和感が日を追うごとに明確になっていった。 

不景気の中で銀行からの融資を受けられなくなっていく小さなレコード店。 

それぞれの店主は「銀行は確実に儲かる会社にしかお金を貸してくれなくなった」と嘆いていた。 
レコードビジネスは常にリスクが伴う。

レコード店は、まだ発売されいない、聞いたこともないCDを、営業マンの言葉を信じて仕入 れる。

当たれば利益が生まれるし、外れれば不良在庫を抱えることになる。 

メーカーを信じて仕入れたCDが売れず、負債を抱えても銀行は融資を渋る。 

さらにその頃、大店舗法改定をきっかけに全国各地の郊外に、大規模な複合型商業施設が作られ続けていた。

小さな商店から人が遠のき、巨大資本による書店や飲食店、レコード店が集まった大型商業施設に人々が吸い寄せられていく。 

地域の文化を支えてきた小さなレコード店が、大型ビジネスの波に飲み込まれていく。 

実際、僕営業で回っていた福井、石川、富山の地場チェーンは僕の退社後に倒産している。 

日に日に募る違和感に向き合う暇がないほどに、日常の業務は忙しくノルマは厳しかった。 

感覚を麻痺させないとこなせない様な仕事量の中で「とにかく一度立ち止らなければ」と決意し、退社した。 

そして、ソニー退社直後のピースウォークを通じて、自分がそれまで体験してきた世界と、新たに知った現実との間にはっきり関連性を見た。

人の個性を押しつぶして巨大な軍隊に取り込んでいく戦争。

地域の中の小さき声を押しつぶして建設される原発。 

その構造は、大きな資本が地方に乗り込み、小さな商店を飲み込んでいく姿と何も変わらない。 

僕自身がそれまで無意識に容認してきた世界が、戦争や原発と結びついてるという現実を思い知った。 

「戦争や原発を進めてきたのは、どこかの悪人ではなく自分自身だった」 

そんな実感がはっきりとした確信に変わったきっかけは、ピースウォークを影で支えてくれた岐阜県瑞浪市在住の陶芸家、大泉讃さんとの出会いだった。 

僕が当時住んでいた名古屋から程近い岐阜県瑞浪に、原発から出る放射性廃棄物を地下に埋めるための研究を行う「超深地層研究所」の存在があることを、讃さんから教えてもらった。 

日本列島に立ち並ぶ50基以上の原発からは、年間約1000トンの使用済み核燃料が生み出され、それらはすべて青森県六ヶ所村に建設中の「使用済み核燃料再処理工場」に集められ、そこから年間約8トンのプルトニウムを抽出し、残りの放射性物質は地下深くに埋めるというのが日本政府の国策だ。 

そして、再処理工場で生み出される最も放射能のレベルが高い「高レベル放射性廃棄物」は合金で作られた高さ150センチほど のキャニスターと呼ばれる容器に詰められ、50年ものあいだ空調機で冷風を当てて冷やし続けた後に、直径6メートル深さ300メートル以深の地下に埋められ、約100万年保管する計画になっている。 

この「地層処分」といわれる計画を実現するための研究を行う施設を受け入れた瑞浪市には億単位の電源立地地域対策交付金 が毎年支払われ続けている。

さらにその周辺の土岐、恵那、可児、御嵩、八百津の三市二町も同様の交付金を受給しており、施 設の開設以来、年間に総額十三億~二十億円が各自治体の財源を支えている。 

その他、関連企業からの寄付金なども使って建設されたいわゆるハコモノと呼ばれる公共施設が立ち並び、地元の経済が原子力産業に取り込まれていく。

そこで雇用される人たちやその家族、親戚、地域住民が口をつぐんでいく。

反対派と推進派の分断。

ものを言う人たちが地域で孤立していく現実。

美しい自然の残る豊かな山間地で人知れず、悲しいいざこざが起きていたという現実。 

こんなにも近所で起こっている現実にまったく気づかずに、膨大な量の電気を使い続け、結果として膨大な量の放射性物質を生み出し続け、その放射性物質をどこかの地域に押し付けようとしていた自分の姿。 

歩いている世界の足元がまったく見えていなかった。 

そのことを思い知った。 

瑞浪を訪ね、その土を踏み、風を浴び、空気を吸い込み、地元に暮らす人たちの話を聞く中で、それまで感じたことのないような悲しみがわいてきたと同時に、忙しく走り回る中で自分の違和感に対峙する暇もなかった日々から抜け出し、ようやく本当の世界に出会えたという実感が生まれた。

世界に対して目が覚めていくような体験だった。 

瑞浪との出会いは、ピースウォークで街を歩いた、その歩みを先に進めるものだった。

この時期から、自分が使っている電気を作る浜岡原発の現状や、原発で生み出された使用済み核燃料が再処理工場に運ば れること、大量のウランを掘り出す現場で被ばく労働が続いていることなどを調べ始めた。 

世界中に被ばくを生み出し、対立や分断や孤立や怒りや悲しみを生み出している当事者、責任者としての自分。 

そんな自分がこれからどのように生きていくべきなのか。

歩みの中で問いが生まれる。

その問いに向き合い続けること。

ティク・ナット・ハンの言葉を思い出す。

今歩む一歩一歩の足跡に蓮の花を咲かせるように歩いていく。

歩くことと祈ることの大切さを教えてくれた言葉。

忘れずにいたい、ありがたい言葉。

walk in beauty .

友と共に始まった歩み、いつまでも友と共に。