Life is Journey ~生を歌い死を祝う旅~ 2015.08

Life is Journey ~生を歌い死を祝う旅~

Lifeとは命の営みそのもの。
生態系そのものがLifeだし、地球という生命体もひとつのLife
そして私たちひとりひとりの人生もLife
僕の人生が終われば僕のLifeは終わるけれど、死して肉体は土に還り、土に醸され、再び生態系の一員となっていくのだろう。
冨貴工房から百歩先に広がる畑で十月を経て麦が実り種をこぼした。
空っぽになった麦穂に、生を手放す事の美しさを思う。死してなお美しい生命。
鎮魂と祈りの空気に溢れる815日、終戦記念日とお盆が重なる命日に僕の意識は自ずと死へと向かう。
太陽の光は惜しみなく降り注がれ、植物たちは惜しみなく酸素を供給し続ける。死を恐れることなく、見返りを求めることなく、ただギフトし続ける生命の循環。
贈与の嵐に満ち溢れる生態系の中に生きる私たち。
いつか終わる人生の中で、僕はどんなギフトをもたらすことができるのだろうか。
工房で味噌のような生活必需品を作る理由は「死なないため」ではない。養生は、死を免れる為にあるものではない。僕はいつか死ぬ。今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない中で僕はなぜ味噌を作るのだろう。僕が死ねば僕の味噌作りはそこでおしまい。しかし、味噌を作ること、分かち合うことの喜び、味噌作りの文化を育む道のりは消えることはない。僕の人生は二千年以上続いてきた味噌作りの文化の中のほんの小さなわだちに過ぎないが、文化は小さなわだちの積み重ねによって育っていくものなのだと思う。
生きているうちに、しっかりと生きていきたい。我が身に宿る思いを形にしていく。言葉にしていく。行い続け語り続け、夢を描き続ける。そうやって謳歌される僕の生は、死を迎えてもなお、何か別の生へとバトンされていくだろう。
工房に通う7歳の男子はこの2年の間に茜染め、蓬染め、麻炭染め、べんがら染めを体験し、今もそのモチベーションを高め続けている。彼が草木染めを仕事にしていく為に僕ができることはなんだろう、と思う。何かを教える事なのか。いや、そうではないだろう。彼がこれから続けていくかもしれない草木染めの価値を、意義を、僕たち大人が理解しながら暮らしていけば、彼が作る染めものを必要とする社会が生まれ育っていくだろう。
その時彼の草木染めは、その価値と意義を理解する社会に支えられる「大切な仕事」になる。味噌屋として生きる人が増える為に必要なことは、僕たち大人が手作りの味噌を生活に取り入れる事の価値を理解していくこと。子供たちに理解を促す前に、僕たち自身が暮らしを捉え直すことをしていけば、自ずと子供たちの未来は変わっていくだろう。草木染めや味噌作りを純粋に楽しんでいる彼ら彼女らを目の前にして、そんなことを思う。
僕個人の営みは今日明日にでも終わるかもしれない。しかし、彼や彼女やその父母に伝えた言葉、分かち合った体験は、消える事なく受け継がれていくだろう。
個の命がいつ終わろうと、生命の営みや文化は終わることなく輪廻していくだろう。
今日死ぬかのように、今ある思いを、今溢れる喜びを、愛を、歌うように手を動かし、踊るように分かち合う。死を恐れるのではなく、生を祝うように仕事していく。
先人の愛してきた養生と手仕事の文化は、今この手の中で再生され、そして次の生へと受け継がれる。僕の短い人生は、命の悠久なる連鎖の一部でさえあれれば、幸いである。