Life is Journey ~ことばといういのち~ 2016.06

Life is Journey ~ことばといういのち~

今年の春に「春夏秋冬 土用で暮らす」という本を作りました。「旧暦でいう一月とは?」「夏至とは?」「土用とは?」暦の世界には、原典を踏まえずに感覚で書いたものや出鱈目、曖昧な情報も溢れており「旧暦ブーム到来」のような雰囲気と同時に、誤解や混乱が広がっているということも現実です。そんな中、改めてこれらの情報を咀嚼して、整理して、なおかつわかりやすく書き下ろすという仕事は想像以上の苦労が伴うものでした。古典、漢文、天文学の専門書を読み解きながら、その言葉を噛み砕いていく。宇宙に対して、先人たちに対して、畏敬の念を持って向き合っていく。そのような過程を通じて改めて実感したのは、暦の文化の中に刻まれてきた、選びぬかれ、磨き上げられた言葉達の美しさ。手仕事のように、丁寧に言葉を紡いできた人々の姿。花鳥風月に対して開かれた五感六感の微細さ。

最近のパソコンや携帯は、文字を打とうとすると「予測変換」という形で言葉を選んでくれます。そしてふと、この機能のメリットとデメリットを思います。メリットは便利さ。手早く文字を打つことを助けてくれるありがたさ。デメリットは、自分が発する言葉を丁寧に精査する「間」や「ゆとり」が失われる危険性があるということ。語りかける向こう側に立つ相手を思い浮かべたり、言葉を受け取った人の気持ちに寄り添う時間。そこを削る必要はあるのでしょうか。そんなに急いで私たちはどこに行くというのでしょうか。自分の感じたことを「いいね!」と言うだけで終わらせてしまったり、人の言葉をただ切り取って貼り付けるだけのコミュニケーションが心の深層に届くことは難しく、表面的なやり取りだけが横行しているように思います。悲しい出来事やショッキングなニュースも、立ち止まって考えたほうがいいようなトピックも、スマートフォンの画面でページをめくるように「ショックですね。では次。」と、意識の表層を流れていくのではないでしょうか。誰も受け止めず、誰も理解をしないニュースは、受け止めてもらえる先を求めて流れ続ける。浮かばれぬ気持ちはインターネット上を亡霊のように漂い続けているようです。工房での手仕事WSは、意図的に長時間に設定しています。もう少し短く出来る気もしますが、あえてそうしています。それは、布と、染料と、大豆と、糀と、周りの人達と、ゆっくり対話を重ねていくことを大切にしたいから。今から10年前「六ヶ所村ラプソディー」という映画の上映を初めてした時、その事の必要性をとても強く実感しました。ショッキングな情報に触れ、心が揺れる。戸惑う。嘆く。でも上映会場を一歩出たら、そこには話の通じる人はほとんどいない。家族にも友人にも共有できない気持ち。そんな気持ちに触れ続けているうちに「映画を見せて、はいさようなら」はないっしょ!と思いたって、上映後にじっくり語り合う時間を大切にするような企画をするようになりました。そして、このスタイルに意味を感じる人達に声をかけられ続け、全国を回る旅が始まりました。お茶を飲みながらそれぞれの思いをただ受け止め合う。この頃に始まった心の交流の旅の延長線上に、今の手仕事があります。お茶を飲むだけでなく、命を支える共同作業をしながら、じっくり、丁寧に、手間と暇をかけて、心の交流を重ねていく。原発、放射能、戦争、環境破壊、私達の暮らし。そこに嘆きや悲しみや怒りが生まれた時、その気持ちを一人で抱え込まずにすむ世界を作っていく。焦らず、急かさず、じっくりと。手仕事のように、茶会のように、言葉に宿る命を大切に。